◎合楽理念をもってする他はない。
◎体験を以て伝える。
◎伝えるに当たって心せねばならないこと。
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V 合楽理念をもってする外はないと、言え、思い込みが出来るところまで、本当のものにしていかねばいけない。成り行きを大事にするとか、すべてのことに御の字を付ける。これが、いうならば芯になっとる。今まで二十何年間、三十年近く言い続けて来たことを、いよいよ徹底して身に付けようというのが合楽理念なのです。だから、事新しいことじゃないです。ただ、その中に最近のいうなら信心ですね、いうなら表行が全廃になって、心行一つに取り組むということや、根底から覆された私どもの御霊に対する観念です。魂の世界での観念が変わってきた。そこに、これは金光教だけではない、本当に世界のあらゆる宗教が革命を見らなければ、本当の人間の助かり、いやあの世この世を通しての助かりは、有り得ないとさえ思うくらいのことなんです。
V お互い一人一人が、本当に心しなければならないこと、だから、そういう初心の人が難儀な問題を持って来とるならば、「本当に苦しいことですね、悲しいことですね」と、「実は私もね、そういうところを通りましたけれども、そういう時には、こういう信心、こういう生き方、こういう御理解を頂いて、私はそこを切り抜けました」というような話ならばです、皆が合点するだろうと思う。
V だから、一遍難儀な人のところまで下がっていって、そこから一段ずつ進めてあげる、というような生き方をしなければ、天地日月の心の中に肝要と、合楽理念の中には、そういうようなことも、うたってあるです。それを、私どもは迂闊にしておる訳です。どうでも一つ皆さん、本当に合楽理念をもってする外はない。商売をしておる人は商売が、事業をしておる人は事業が、百姓をしておる人は百姓をです。合楽理念をもってする外はないと、いうならば言え、思い込みが出来るところまでです、一つ本当のものにしていかねばいけないと思いますね。
%1 少年少女全国大会パレードで「合楽理念の確立」のプラカード。
%2 合楽だよりに、合楽理念による人生観というものを書いたらどうかと。
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昭和五十二年八月十日 朝の御理解
X御理解第七節 「天地金乃神は昔からある神ぞ。途中からできた神でなし。天地ははやることなし。はやることなければ終りもなし。天地日月の心になること肝要なり。信心はせんでもおかげはやってある。」
%1昨日、御本部から光昭が帰って参りました。丸少全国大会の、今度の中心になる御用をさせて頂いて、初めて、丸少の今度あっちに行ってからの話を、昨日詳しく聞かせて頂いたんですけれども、丸少がああして、合楽の私は知りませんでしたけれども、ここで頂いた「またとない少年少女時代を大切に」でしたでしょうか。そういうスローガンののぼりを立てて、それからプラカードというですか、あれには、私は「合楽」と書いてあって、「和賀心」と書いてあったのを、この頃、久留米に行った時に見とりましたから、それを持って行ったかと思うたら、「合楽理念の確立」ち書いてあった。
%1もし私が見とるなら、とても持って行かせきらんなかったと思うですね。やっぱり人間心を使いますから。しかも、もうずば抜けて合楽が素晴らしかったということですね。それは、人数が多い所あたりは、まだ大阪辺りにたくさんの大きな教会がありますけれども、どういう意味から言うても、丁度去年の倍あったそうです、丸少のが。
%1そして、もう何と申しますかね、あちらでの前日、大会がある所で、ここの合楽の方ですけれども、西田と言う先生が居られます。その息子さんが、丁度十年前、こちらに参りました時分の丸少時代に、丸少出なんです。
%1そして、東京の大学に行って、それからいろいろな非常に音楽が好きでしたから、音楽の勉強をして、それで何か、世界で四位か五位になったそうです。何か、あの歌謡曲のようなものでしょうか。世界でのそれに四位か五位になったと言う。レコードなんかも出とるそうですが、西田恭平さん、光昭の友達でしょう。
%1それで、丁度夏休みで帰っ来とったから、合楽でのいろいろの出し物の中に、その人も参加して貰うことになっておって、御本部に初めて、白のピアノが今度丁度来ましたそうです。それの弾き始めをしたそうです。そして、ピアノを弾きながら歌うのですね。そりゃ素晴らしいそうです。
%1それが歌の中に申しましたことが、「僕が、丁度合楽教会から丸少で十年前に、この丸少の全国大会に参加した」と、「そして、十年後に、ここでこういう晴れがましい場で、歌を歌わして貰うということは、本当に感激だ」と言うて、挨拶をしたというような話やら、今度、光昭が作曲しておった、それが、今度本部で取り上げられて何かレコードになるとか、それも、その恭平君がやっぱり曲と同時に、歌も一緒に発表したそうです。まるっきり、合楽の何かこう発表会かなんかのようなね。
%1そして、その御用頂いておる大会の三、四日前から御用に行っとります。それで、いろんな企画から何から、今度は光昭が責任者でおかげを頂いたそうですが、その今度のパレードで「合楽理念の確立」としてあるのが、皆の、大変目にとまってね、大坪先生、合楽理念て説明をしてくれんの、というような人があったというような話を、昨日は話を聞かして貰いました。
%1もうとにかく、何というでしょうかね。大阪の泉尾の先生と言うけど、若先生のことでしょう。何かもう、合楽の余りの素晴らしい進展具合というものに感激して、もうその合楽だけを目当てに、たくさん写真を撮っておられたということでした。
%1本当にこの合楽理念というものが、なら「教団の今の中に入って広める」と、神様は抑しゃるんですけれども、やはり人間心を使いますから、「もう出来るだけ合楽理念なんかということは、決して言葉に出しては駄目だよ」と、うちの学院生なんかにそんな風に言ってあるんですね。
%1合楽理念、合楽理念と、それではのうても、まあ妙な目で見られるのに、しかし、何にも迂闊なことではあるけれども、私は、今度、丸少がどういうふうなことをして、どういうことのことで行ったか、服装さえ全然私は見らんなりでした。今度は、帰って話を聞かしてもろうて、まあ神様ながらな、一から十までの神様の働きに会っておることだな、と思わせて頂いたんですけども、本部のそれに参加して、「「合楽理念の確立」はよかったね」と言うて、返す返すもまあ、「そりゃあんた、一寸派手すぎたじゃないか」と、ところが決してそうではなかった。もう本当に、おかげを頂いたという話でございました。
%2昨日、私は研修の時に、若先生に話したことでしたけども、研修半ばに、「若先生、あんた一つ、今度合楽だよりの中に暫く何か書かないか」と、それをまあ、合楽理念による人生観と言ったようなものをね、書いたらどうかと言うて、まあ申しました。
%2金光様の御信心を頂けば、確かに人生観がまあ変わってくるとね。本当の信心が、段々分かれば分かるほど分かって来る。その中でそれを見ながら、助かりの理念と言われる合楽理念を、いよいよ自分の行の上に、生活の上に頂いて行ったら、もう間違いなく素晴らしい人生観が生まれてくる。
%2それぞれの人生観というものは、まあと申しますけど、ある人もありゃ、無い人もある。もう飲んで食うてちょい、というような考え方の人もある。もうこの世は苦の世だ、苦の世界だと決め込んでいる人もある。そういう中にです、本当に生きがいを感じるような、いうならば生き方、そこに自ずから、いうなら人生観もまた変わってくる。
%2いうなら、物の見方、考え方、もうそれが変わってこなければ、私は合楽理念を身に付けていくということは、人生観が変わることだと、私は思うですね。物の見方やら考え方が変わってくるから、私はおかげになると思うんです。確かにこの世は苦の世だ、苦の世界だ。中に合楽理念をもってすれば、こういう有り難い、いうなら極楽以上の世界が、そこに開かれて来るんだと。
昨日は、いろいろな変わったお届けやらございましたが、宮崎から電話がかかって参りました。一月も前の話でしょうけれども、それが、今分かった訳ですね。スイスに行って、一人であちらの高い山に、いわゆる登山を思い立った方が、二十八才の青年で、丁度昨日、スイスから電話が二度かかって参りました。二度目の時に、はっきり分かったことは、もうとにかく遭難してある訳ですね、きっと。もう小さいリュックが一つ出て来ただけで、あちらでの捜索隊、それがなかなか国際的なですから、難しいことがあるそうですが、さあ、せめて遺体だけでも早く発見が出来るようにというお願い。
まあ本当に大胆と言えば大胆、まあ好きと言えば本当にまあ、どうにも仕様がない訳ですけれども、その二十八才の青年がそういう高い山に、しかも外国で一人登山をする。よっぽど山に魅せられてしまったというより外にない。しかも、今も三十分おきに雪崩があるから、手が付けられないという電話が、昨日かかってきた。だから、ただ今東京からの連絡があったからと言って、早速ここへお届けがございましたが、まあ本当に信心も山登りも同じことと言われるが、やはり山登りということが、その様に例えば好きになる。
もういうなら、まさに一つ間違うたら命にかかわる、というほどしのことを、しかも一人で、まあそういう冒険に取り組むという勇気も素晴らしいですけれども、これが、こういう様な考え方で、私は信心を身に付けて行ったら、それこそ素晴らしいお徳もおかげも受けられることであろう、と思わしてもらった。
いうなら、頂上を極めるということの楽しみというか、喜びというか、そこには危険も、いうならば眼中にないほどしの打ち込み方がある。いうならば、おかげを頂くということに打ち込むのではなくて、合楽理念を頂いて、合楽理念、合楽理念と言うけれども、ここ三十年間、親先生が、ずーっと言うて来たこと、じゃないかと皆さんが言われるだろうと思うです。また、正しくその通りなんですね。
成り行きを大事にするとか、すべてのことに御の字を付ける。これが、いうならば芯になっとる。今日の御理解でいうなら、「天地日月の心になること肝要だ」ということが、芯になっているのですからね。それを例えば、私の体験に基づいて、そのことから生まれてくる、いわゆるおかげを皆さんに聞いて頂いたんですけれども。
これがお互いの信心のです。いうなら何十年間、私どもがそれを、まあいうならば稽古をして来たけれども、その稽古が、いよいよ本当に自分のものにならなければならぬ。いよいよ成り行きを尊ぶとか、成り行きを大切にするということが、もういよいよ自分の信条にならなければ、なら人生観が変わるということにはなってこない。
都合の良かことは親先生任せだけれども、都合よくないことは自分勝手。こういう事は受けられるけれども、こんな事は受けられない、というようなものではなくて、今まで二十何年間、三十年近く言い続けて来たことを、いよいよ徹底して身に付けようというのが合楽理念なのです。
だから、事新しいことじゃないです。ただ、その中に最近のいうなら信心ですね、いうなら表行が全廃になって、いや心行一つに、もう心行にいよいよ取り組むということやら、元は私どもの今まで分かってきたその時点、時点では、それが本当だったけれども、現在では、それが根底から覆された私どもの御霊に対する観念です。魂の世界での観念が変わってきた。
そこに、これは金光教だけではない、本当に世界のあらゆる宗教が革命を見らなければ、本当の人間の助かり、いやあの世この世を通しての助かりは、有り得ないとさえ思うくらいのことなんです。しかも、その祈りが、いわば強烈に、いうなら南米の地辺りまでも波及して行っておるという、「もう合楽理念をもってする外はない」と、なら末永先生をして言わせておる。
昨日も、佐田さんところに参りました、末永先生が出しとります手紙の中に、何か典子さんが、一緒に手紙を同封して出してあった。もうあちらで御信者さん方がたまがっておることは、こういういうならば若い方達、いうなら子供上がりの大学生の、ですから、の方達が合楽理念を、このようなリズムに乗った生き方を、身に付けていっておるということを、その典子さんの手紙を向こうで読んで、皆で大変感動したという話が出ておりました。
その手紙の中に、先日お参りをしてきた親子があった。もちろんあちらの人です。いうならば、息子さんがノイローゼですね。いわゆる気違いで、とにかく出刃包丁を投げたり、それから家に火を付けると言うたりするから、もう家には居られないと言うので、親戚中を当分回って家を出られる、ということで、とにかくこちらの言葉で言うならば、最近金光様が見えて、こうこうだから、あそこにお参りしてみれと勧められて参って来た。
そして、そのことをお取次さして頂いたら、ねずみがチョロチョロと出てくるところを頂いた。だから、ねずみは大黒様のお使いと言われるのであるから、これはもう大黒様が行って下さるのだから、心配はいらない。「今からもう家にすぐ帰りなさい」と言うて、帰らせたということです。
そしたら、もうその荒れ狂うておった子供さんが、嘘のように静かになって、お礼に翌日、本人も一緒に連れてお礼に出て来た。そして、言うことです。昨夜お夢を見た。まあ日本人なら御神夢と言うところでしょう。私の家の周囲を、先生が着けておられるような黒衣を着た方達が、何十人かでこうやって取り回しておられた、家を。
もうそれを聞いて、末永先生が大変に感動して、「本当に親先生の祈りがいつものことながら、このようにして、いつも御守護を頂いておるということを感じました」といったようなことが書いてありましたね。
いうならば、合楽理念がです、それこそ南米の地にまで普及していくほどしの、しかもいうならば言葉は分からないね。けれども、そういう凄まじいおかげ、働きになってくる。もう合楽理念をおいて、いわば海外布教は成し得ない。それは、もう成し得ないと言うても良いでしょうね。それは、日本人を相手として、例えばアメリカとかハワイなんかにありますけれども、それは、どこまでも海外布教と言うても、日本人が対象である。いうなら、世界のあらゆる所に行って、あらゆる国の人達が助かるということがです。私は、「海外に布教ということは、合楽理念をもってする外はない」と言っておるのですね。
ですから、もう金光教の、いうなら<的>観念というものを,一遍覆されて、とにかく合楽理念をもってする外はないと、お互いの信心生活の中に、それが信じ切れ、思いれる、思い込めれるところまで行かなければ、いうならば人生観というが、変わるほどしのことにはなってこないと思うんです。
だから、それは永年言うて来たこと、ちょこちょこ稽古して来たことであることが、やはり芯なんです。「天地日月の心になることが肝要だ」。天の心、地の心、いや日月の心、それを最近では、なそうと思えば子供でもなせるほどしのことをです。おろそかにしておったことを、改めて大きく気付かせて頂いて、日月の心とは、こういうことであったと、皆が気付いて、その修行に取り組んでおる訳です。
全国の、いうならば信奉者が集まっておる、晴れがましい場で、大きな、いうならば、のぼりとかプラカードを立てて、そして、いうなら楽隊入りで合楽理念の確立が宣伝されたということになるのですね。だから、本当に合楽理念とはどういうなことかを、求める人達もおいおい出来てくるでしょう。
そんなら、これを見て下さいと、なら南米辺りのおかげを頂いとる状態もですけれども、私の教会で、合楽で御縁を頂いとる、一人一人の人達の姿というものがです、合楽理念を基にした商売です、合楽理念を基にしたお百姓さんです。ですから、もう第一出来が違う、繁盛の振りが違う。
こういう、いうならばビリグイで立てられておるような御比礼が、皆一人一人の上に、ただアレヨアレヨと、末永先生がおかげを頂いておることを見ておるだけではなくて、めいめいの上にもです、それを現していくほどしのおかげを頂く、それは必ず、お互いの人生観が変わるから、変わるところまで行かなければ、合楽理念をもってする外はない。
商売をする人が、こういう思い方になったらどうでしょうね。お野菜を作るには合楽理念をもってする以外はない。この事業をです、いうならば人知人力というようなことではなくて、ただお取次を頂いて、お願いしながら繁盛しよるじゃなくて、合楽理念をもってする外はない、と一人一人が言えれる、いうならば確信が出来てくる時です。初めて、合楽理念が世にいよいよ問われる時だと思うのです。まずね、だから合楽に御縁を頂いている人達が、おかげを受けなければならない。合楽理念をもってする以外はない。
まあだ、ここには三、四回しか参ったことのない福岡から参って来る方なんですけど、合楽理念の、いうならば天地のリズムに乗っての生き方というようなことをお話を頂いて、私はここに御縁を頂いて、この方、もう雑記帳をこんなに持ってきて、その雑記帳にずーっと毎日毎日のリズムを聞き続けながら、生活をしておるという方なのです。
昨日、丁度研修しておる一寸前に見えて、研修を一緒に頂いて帰られたんですけれども、ところが、こんなに素晴らしい、まあリズムを聞き続けたら気違いになるかん知れんと思うくらいなんです。そのことをお取次して頂きましたら、もうその目が覚めてから休むまでが、ずーっと、例えば、見るもの聞くものが、自分にだけ見せてくださっているような感じなのです。だから、その通りのことをなさっておられる訳です。
丁度、お月次祭の時に典楽がありますよね。なら、琴、笛、<てき>、篳篥と太鼓と鉦と言ったような、いうならその一つ一つを、全部聞いておられるという感じです。だから、私は、これからはね、あなたはね、これを全部の合奏してそこから生まれてくる音色を、聞くということにならないと、もう信心のない者が聞いたら、それこそ気違いじゃないじゃろか、と言うかも知れませんよと。その一つ一つの音色を、ずーっと聞き分けてから聞きよるけん訳ですたいね。
例えば、こちらへ参ります時に、タクシーで電車まで、それで電話かけましたら、ハッピータクシーと言うてあった。そして、こちらへおかげ頂こうとしとる運転手の名前が、丁度合楽に行かんならん、しかも、こういうお供えを持って行かんならんと、自分が思うておる、その名前じゃったげな、一寸名前を忘れましたけどね。
昨日、私は、もうそれこそ大幅ですが、こんな大きな、そりゃもう見事な大変古い絵ですがね、あの、それをお供えに持って来ておられましたが、大変なお家らしいんですよね、話を聞くと。それをここに掛けて、私は観賞さして頂いたんですけども、神様にお届けさして頂いたら、金銭で買えるもんじゃないと頂いた。
金で買えるもんじゃないち、二本ながら、素晴らしい軸で、とてもとても私は思わして貰う。合楽理念を基にするということは、必要なものが必要に応じて頂けるということだけではなくてです。ありとあらゆる、いうならば人間が幸せになっていく条件、しかも、貧争病のない世界に住むだけではなくて、真善美輝かんばかりのおかげの世界に住むためには、真善美輝かんばかりの、いうならば調度品であろうが、家であろうが、お庭であろうが、そういう、いうなら神様の御準備が、もう始まったなという感じがするんです。
この頃からは、鐵斎の書と言うのが私の部屋に掛かっとります。その鐵斎の書が参りまして、二、三日致しましたら、鐵斎が使用しておった墨をそのままに作った、なんと鐵斎の墨のお供えが来ております。もうどんなに考えてもね、ですから、三代金光様が教えられたように、願い以上のおかげという世界が開けてくるのが、私は合楽理念だと思うんです。
それには、皆さんが、どうでも、もうお商売は合楽理念をもってする外はありません、百姓はもう合楽理念をもってする外はありませんと、なら末永先生が、海外布教は合楽理念をもってする外はありませんと、いうなら断言しておるようにです。皆さんの生活がです、もう合楽理念をもってする以外はない、というほどしのおかげを頂けた時に、初めてです、天地日月の心という内容が、いよいよ深く分かってくるでしょうし、なら和賀心がいよいよ育ってくることでしょう。
昨日、そのお供えを持ってきた方が、そのお供えのことを、神様にお供えさして頂くことをお願いさして頂いておられたら、カレンダーに、一寸こう見たら、金の鈴が付いとった。本当に金の鈴を打ち振るような心の状態がね、そこから生まれて来た。もうこの人が言われるのは、「親先生がお喜びになることはどういうことじゃろうか」と、いつも思うとると、こういう訳です。
まだ、三、四回しか参って来んですね。今度は、あの大祭におビールを五箱と言うて、お宅に御注文があっとるでしょう。(綾部サミエ氏に向かって)その方なんですね。そして、どうでも私の方に、まだ私は見ておらんけど、ずいぶん見事な大黒様だそうですが、どっかでまだ見てないです。「今度の祈願祭にどうぞ御しんを入れて下さい」と、言うて持ってみえとるそうです。
だから、その方だけのための、いうならば大黒様じゃなくて、祈願祭の御大祭に、その大黒様を拝ませて頂く訳ですけれども、それが、合楽全部の人達の上の大黒様であらなければいけないな。これは、私はどうも考えてみると、よその先生方がここへたくさんみえるとに、あそこに大黒様がお祭りしてあるなら、いよいよ、これはまた評判が悪うなるというような気がするのです、けれども、向こうは、「どうでもこの祈願祭に御神を入れて下さい」と、言よんなさるから、そうせん訳にはいかん。
それこそ御本部の、しかもその晴れがましいところで、合楽理念の確立てんなんてんち、そげなことは書き直さにゃいかんばい。もし私が知っとるなら、言うたであろうけれども、何も彼も知らぬうちに、事が進められておったからですけれども、今度は、私も度胸を据えて、来た大黒様を、祈願祭の時に拝もうと思うとります。
だから、皆さんも、それにあやからせて頂くことのためにです、合楽理念をもってする外はないと言う、私は信念と、それに対するところの取組みを一つなさらなければならない。
その芯になるものは、この御理解七節です。「天地日月の心になること肝要なり」ですね。今までとはもっと違った、本当に合楽理念をもってする外はないと思えれる時には、あなたの人生観が、もっと素晴らしい、垢抜けした、そこに生きがいというようなものも、もっと素晴らしい生きがいが、または、使命感もいよいよ立派なものが心の中に頂けてくることだろうと思います。合楽示現活動に参画すると言うても、本当にそういう合楽理念をもってする外はない、というほどしの確信を持っての合楽示現活動に参画するでなからねば、自分が有り難くもないのに、有り難いと言うただけではつまらん。
昨日、一昨日佐田さんところの共励会の時に、合楽の信心が、山に登り上がってしもうとる。こんな素晴らしい踊りを、ただ内々の人だけしか見ていない、というお知らせを頂いて、そんなら、これを平たいところに持ってくるということは、どういうことかということを、芯にして共励会があったということです。
その中にある人が、ある信心の大変まだ若い人が、合楽にお参りをして、ある難儀な問題を持って行ったら、御信者さんが「そりゃ、おかげですが」と、こう言うたげな。「こげな苦しいこと、こんな悲しいことを持ってお願いに来とるとに、それがおかげですとは何ちゅうことですか」と言うて、腹が立ったと、言うた人があったそうです。
私はそれを聞きながら、こういう事が山に登り上がっとることじゃないだろうかとこう思うんです。なら、その人が、本当に合楽理念をもってする外にはない、というほどしのものを頂いているのなら別です。本当にそれをおかげ、なら皆が個々に難儀な問題を持って来る時に、「先生どうしましょうか」と言う時に、「そげん時が」と言うて、いつも手を振って喜びよる時と言うたらです。いうならば、私がそれを本当に実感としておるから、それで皆が元気も出りゃ、おかげが頂ける。
ああこんな難しい問題で行ったけれども、親先生が笑ってから言いなさった、というだけでです。こんな難儀な問題を持って行っているのに、笑うちからと、それをおかげとは何がおかげか、というようなことにまでなりかねないことなんです。だから、自分に頂いておらないものを、そう言うから、これが、いうならばそんなことは自分達では頂けない、という山の家のようなことになってくるのじゃないだろうか。
お互い一人一人が、本当に心しなければならないこと、だから、そういう初心の人が難儀な問題を持って来とるならば、「本当に苦しいことですね、悲しいことですね」と、「実は私もね、そういうところを通りましたけれども、そういう時には、こういう信心、こういう生き方、こういう御理解を頂いて、私はそこを切り抜けました」というような話ならばです、皆が合点するだろうと思う。
「そりゃおかげがの」ち言うちげなけん、腹が立ったという訳なんです。そういうところがね、合楽の人達は頂きもしとらんのに、自分でそれで身にも付いてもおらんのに、そういうところが、私は、これは改めていかねばならんところではなかろうか、というふうにも思うんです。
だから、一遍難儀な人のところまで下がっていって、そこから一段ずつ進めてあげる、というような生き方をしなければ、天地日月の心の中に肝要と、合楽理念の中には、そういうようなことも、うたってあるです。それを、私どもは迂闊にしておる訳です。どうでも一つ皆さん、本当に合楽理念をもってする外はない。商売をしておる人は商売が、事業をしておる人は事業が、百姓をしておる人は百姓をです。合楽理念をもってする外はないと、いうならば言え、思い込みが出来るところまでです、一つ本当のものにしていかねばいけないと思いますね。
どうぞ。